アドバイスにおいて中庸な意見は役に立たない話

社会で生きていると、他者にアドバイスをする機会が少なからずある。アドバイスという仰々しいものでなくとも、軽い相談に対して自分の考えを伝えることはあるだろう。その際、偏りがない無難な意見を言う人は少なくないが、そのような中庸な意見は役に立たない。中庸な意見は一般論や理想論と言い換えることができ、それらでは他者の行動を変えることはできないのだ。

中庸な意見の例1:大学受験生

大学受験を控えた高校3年生から「受験勉強をしなければならないが、ゲームをやりすぎてしまう。どうすれば良いか」という相談を受けたとする。ここでの中庸な意見とは、「ゲームは1日1時間にして、残りの時間で勉強をすれば良い」というようなものだ。このようなアドバイスは何の役にも立たない。ゲームを程良く楽しみつつ、勉強時間を確保し、それで大学受験に合格するのは理想とも言える人生であり、相談してきた受験生もそれを理想としていると考えられる。しかし実際は1時間でゲームを止めることができず、勉強時間を確保できないから相談しているのであって、そんな受験生に理想論を披露したところで何の参考にもならない。

つまりこの受験生にすべきアドバイスは「ゲーム機を全部壊せ」だ。ゲーム機が目の前にあるからゲームをしてしまうのであり、ゲーム機がなければゲームをできない。ゲームが無くなって漫画に逃げてしまうなら漫画も全部捨てれば良い。勉強以外の選択肢が無くなることで、勉強をするようになる。反対に、「受験勉強なんてしなくて良いから、今を楽しもう」というアドバイスも有効だ。良いアドバイスとは言えないが、毒にも薬にもならない中庸な意見よりは意味のあるアドバイスと言える。

中庸な意見の例2:プロゲーマー志望の中学生

プロゲーマーに憧れた中学生から「高校に行かずにゲームの練習に没頭したい」という相談を受けたとする。ここでの中庸な意見とは「プロゲーマーは狭き門だから、プロゲーマーになれなかった場合でも働けるように、高校に行っておいたほうが良い」というようなものだ。先ほどと同様、このような意見は何の役にも立たない。潰しが効くように勉強をしておくべきというのは誰でもわかっていることであり、その上でゲームの練習に没頭したいと思っているはず。勉強もしたほうが良いと言われて納得するなら、そもそもこんな相談をしてこない。

つまりこの中学生にすべきアドバイスは「勉強なんてせずに1日中ゲームをしろ」か、「夢を見ずに現実を見ろ」のどちらかだ。既に実績があり、そのゲーム界隈で知名度があるなら前者で良いし、そうでないなら後者となる。

偏った意見が他者を動かす

中庸な一般論は理想であり、「現実を見ている」大抵の大人たちは中庸な意見をアドバイスとして贈る。しかし悩みを抱えている人は、一般論通りに生きるのが理想だとはわかっていながら、そこに疑問や反発を感じている。その状態で既知の一般論を浴びせられても余計に反発するだけであり、彼らにとって意味があるのは偏った意見だ。毒か薬かに関わらず、偏った意見こそが他者の悩みを解消し、行動を変えられる可能性を持つのだ。